人は好意を返す。だからこそ示さないを決めた。
返報性の法則を封印して挑んだ1年8カ月の孤独な闘いの記録。
まいど!心理占術師のみむです🌟
私は写真を撮るのが好きだ。
とはいえ、カメラに時間もお金も注ぎ込めるほど余裕があるわけではない。
そんな私が、コロナ禍だった2020年から今も続けているゲームがある。
『Code:ドラゴンブラッド』だ。
ゲーム内容についてはまた別の機会に語るとして、このゲームを始めた理由はシンプルだった。
グラフィックが綺麗すぎたのである。
そして、その美しい世界にはスクリーンショット(以下SS)を撮る文化があった。
公式は毎週プレイヤーからSS作品を募集し、優秀作品を週報として掲載していた。
さらに、優秀な作品を継続して生み出したプレイヤーには【スーパークリエイター】という称号が与えられる。
戦闘は苦手だった。
でも、作品で評価されるなら話は別だった。
私はその称号が欲しくなった。
ただし、ひとつだけ譲れない条件があった。
純粋な作品の評価と己の感性で取りたかったのだ。
当時のSS界隈は、とても活発だった。
Xで作品を投稿し、交流し、お互いを応援し合う。
それ自体は素敵な文化だったし、今もそう思っている。
実際、週報に掲載される作品の選考にはプレイヤー有志も関わっていた。
だから掲載確率を上げる方法は分かっていた。
交流を増やすこと。
顔を覚えてもらうこと。
仲良くなること。
人は好意を返したくなるし、仲の良い相手を応援したくなる。
それは悪いことではない。
むしろ自然なことだと思う。
でも私は知りたかった。
自分の作品は、本当に評価されるのだろうか。
もし交流の力で称号を手に入れたら、その答えが分からなくなる気がした。
だから私は、遠回りな道を選んだ。
投稿を始めた頃、周囲には交流の輪ができていた。
勿論、ガチで凄い人もいた。その両者が混ざり合っていて
50いいね、100いいねを獲得する人たちも珍しくなかった。
そんな中で、私が初めて週報の表紙を飾った作品についた反応は、たしか5いいね程度だったと思う。
正直、心が折れなかったと言えば嘘になる。
でも不思議とやめようとは思わなかった。
答えはシンプル
キャラの顔が好きd
撮るのが好きだからだ
一桁いいねでも、自分が良いと思った作品を撮り続けた。
そして投稿し続けた。キャラをモデルとし、私はカメラマンとして撮り続けた。
結果として、約1年8か月後。
私はスーパークリエイターの称号を獲得した。
称号が欲しかった。
でも、それは正当な評価でもらう称号でなければ意味がなかった。
だから、この結果には大きな価値があった。
自分の感性を信じる根拠になったからだ。
そして実は、いまもなお
貫いているこだわりがある。
ドラブラは自由度の高いゲームだ。
性別変更もできる。
整形もできる。
流行の顔に作り変えることもできる。
人気の見た目に寄せることもできる。
でも私はサービス開始から今まで
一度もキャラクターの外見を変えていない。
彼で撮り続けてきた。
彼が見る景色を彼ごと切り取り続けた。
時を刻んだ彼じゃなきゃ作れなかった作品がある。
交流で近道を選ばなかったことも。
流行の見た目に変えなかったことも。
振り返ると同じ理由だった気がする。
私は結果だけが欲しかったわけじゃない。
「どうやってそこへ辿り着くか」も大切だったのだ。
称号を取った後のことも決めていた。
人と接するのが好きなので
ごりっごりに交流を楽しもうと。
自分なりに納得できる形で評価を得られたなら、もう迷う必要はない。
称号獲得後は多くのクリエイターたちが仲良くしてくださり
撮影する機会に恵まれた。
数年後にはクロスサーバーというものが実装され、会えなかった他サーバーの
仲間たちとも撮影が可能に。
それぞれに個性があり、発想があり、美学があった。
作品を作ることも楽しかったが、誰かと作品を作ることもまた違う楽しさがあった。
気づけば7年目になる。
忙しくなってしまった今でも撮影を続けているし、ゲームが続く限り私はシャッターを切り続けるのだろう。
この記事を書いている今も撮りたい衝動に駆られている。
タイトルにもどるのだが
返報性の法則は悪ではない。
交流も大切だし、人とのつながりが作品を広げてくれることもある。
ただ私は、確認したかった。
わたしの感性は、本当に評価されるものなのか。
このキャラクターで撮り続けた作品は、誰かの心に届くのか。
その答えを知れたからこそ、今は数字にも交流にも振り回されずに楽しめている。
そうとうな遠回りだったかもしれない。
でも、私にとっては必要な遠回りだったのだ。
時々サブスタにも投稿するかもしれない。
その時は、ゲーム内カメラマンの作品だなくらいで
見ていただけると幸せである。






