言葉になっていなかった違和感の居場所
違和感を無視しない生き方は面倒でクソ真面目である
ども!心理占術師のみむです🌟
発信の話になると、多くの場合は「どう見つけてもらうか」の話にいく
フォロワー数。
認知。
拡散。
アルゴリズム。
コラボ。
どれも大事や
私だって、必要な人には見つけてもらいたい。
だから「届けること」に興味がないわけじゃない。
でも、そういう話を聞いていると、いつも少しだけ置いていかれる感覚がある。
なぜなんだろう。
最近、その違和感について考えていた。
私は昔から、
「数字を持っている人と仲良くなりたい」感覚がほぼない
否定するわけじゃない。
ただ、自分の中にはその感覚があまりない。
影響力のある人はすごいと思う。
多くの人に届く力があるということだから。
でも、その人の数字に近づくことよりも、
その人が何を考えているのか。
何を見ているのか。
何を作ろうとしているのか。
そちらのほうが気になってしまう。
食わず嫌いではない。数字をみてうごいていったこともある
でもそこで響くものはなかった。
ただ、この人ちょっと面白いこと言ってるな、共感するなで追いかけたひとが
数字を持っている人だったことは何度かある。
そういうところから
もしかすると私は、「どう届けるか」よりも「何を残すか」に興味があるのかもしれない。
最近ふと考える。
もし明日、SNSが全部なくなったら。
フォロワー数は残るだろうか。
インプレッションは残るだろうか。
ランキングは残るだろうか。
たぶん残らない。
でも、
考え続けたこと。
書き続けたこと。
積み上げた視点。
誰かとの対話。
そういうものは残る気がする。
だから私は、ときどき不思議になる。
みんなはいったい何を積み上げているんだろう。
もちろん人それぞれだ。
人と繋がることを大切にしている人もいるし、影響力そのものを面白いと感じる人もいる。
それはそれで一つの価値観で才能だと思う。
ただ私はどうしても、
「その先に何があるんだろう」
と考えてしまう。
もしかすると、これは少数派の感覚なのかもしれない。
若いころからずっとこうだ。
有名な人とライブで共演させてもらったことがある。
周りは興奮していたけれど、
私は「長く続けて成果を出した人なんだな」と思っただけだった。
失礼な意味ではない。
むしろ尊敬している。
でも、有名だからって近づきたいとは一度も思わなかった。
おかしいのか天邪鬼なのかなんて考えたこともあったけど
年や経験を重ねて、それでもいい気がしてきた。
私はたぶん、人の数字よりも、その人が見ている景色に興味がある。
そして発信するときも、
誰かを説得したいなんて一つもおもっていない
「それ、私も思ってた」
と言ってくれる人がいたら
たのしい時間が増える気がして
この記事をしたためているのかもしれない。
最後に
こういう話を考えるのが好きな人間です。
答えを出すというより、
まだ名前のついていない違和感を言葉にしていくような。
もしこの記事を読んで、
「それ、私も思ってた」
と感じるところがあったなら嬉しいです。
配信でも、占いの話や人生の話をしながら、たまにこんなことを考えています。
よかったらお気軽に遊びにいらしてください🌟



子供の頃 『刑事コロンボ』が好きだったせいかこまかいことが気になると、夜もねむれねえ=少しでも違和感あったら無視できない